「薬屋のひとりごと」の舞台設定を探る
「ひとりごと」は表向きはフィクションなんだけど、 唐の時代(7~10世紀頃の中国)がベースになっている。「ひとりごと」を見れば、唐の世界も分かる良い作品。
「後宮」はエロい場所?
まぁそうです。「後宮」ってのは 街自体が皇帝が子作りする場所、皇帝が妃に子供を産ませるための街でした。マオマオは下女として 妃の所に スルッと潜り込んだけど、実際は皇帝や妃がうろつく場所だし、「こいつを入れて良いのか」「変なことをしないか」っていう審査を通過しないと入ることすら許されない聖域だった。
後宮での流行とマナー
猫猫(マオマオ)を始め後宮の人たちは袖(そで)や裾(すそ)がヒラヒラでダボッとした漢服を着ています。これが当時の流行だったわけですね。
マオマオは貴族の前では長い袖で両手を隠して頭を下げているけど、ここに儒教的な価値観が出ているんだ。唐は儒教バリバリで、「君臣の上下関係」や「謙虚さ」が超大事。偉い人の前で手を隠すのは、「自分は下です。絶対服従してます」って敬意を示すポーズだったんだ。逆に 手を出すのは、「攻撃的」または「馴れ馴れしい」って見なされたんだ。
後宮の中のヒエラルキー
皇帝の嫁部門
四夫人…上級の側室。後宮でたった4人。99% 皇帝の子を出産できる安牌なポジション。ただ 子供が健康に育つかどうかは別で、子供が死んだら「あいつは役に立たねぇ」とか言われて家が潰されたりもする。なので出産直後はピリピリだった。四夫人はまず間違いなく貴族や有力者の娘。本来は皇后をサポートしつつ、祭事で目立つ役割(供物の奉納とか)を任されていた。
・解説…ひとりごとでは 四夫人が 「正一品(しょういっぽん)の妃」と言われている。正一品ってのは、簡単に言うと「正式なトップ」って意味。唐の時代は、役人や妃に「品(ひん)」ってランクをつけてた。これ、1品から9品まであって、1品が最上位、9品が一番下だった。 ・正一品は、1品の中でも「正規のトップ」。1品には「正一品」と「従一品」(ちょっと下)があったけど、正一品はマジで最高ランクのトップスター。「皇后がいるならトップじゃないじゃん。」って思うけど、皇后は「品」を超えた「超特別枠」だから、四夫人が後宮の妃たちの中じゃトップの地位って感じ。 |
妃嬪(ひひん)… 四夫人以下の嫁、唐の時代は後宮で122人もいた。「ひとりごと」では下級妃と呼ばれている。下級妃は出産チャンスは あるけど四妃ほどではない。それでもワンチャン皇帝との間に子供が産まれたら大出世だった。
なので皇帝の娯楽(音楽、舞踊、歌詠み)に積極的に参加して 興味を引きまくっていた。寵愛を得るために派閥争いや妃嬪同士で同盟を組んだり、「あいつは病気持ち」とか 裏でデマを流して策略したりも日常的だった。 出身は幅広い。 貴族の娘から、周辺国の姫、地方の美人、賄賂で入ってきた商人の娘まで。唐初期は低身分でも美人ならOK。 階級も正二品から六品以下 までピンキリだったんだ。
なんでランクを決めていたのか?
唐の社会は「序列」が命だったんだ。品で誰がエライかをハッキリ決めておくことで、後宮がゴチャゴチャしないようにしていた。「ひとりごと」をよく見ると、ランクによって着ている服がぜんぜん違うんだ。
後宮内の雑務部門
ぶっちゃけ下女と話すなんてのは まず無い。でも妃お付きの侍女なら余裕である。妃からすると、壬氏様と仲良くしておけば皇帝の好みやら近況を教えてもらえるし、皇帝が遊びに来るように助言を頼んだりも出来るので、 実際の唐では妃たちから 上級の宦官に せっせと絹やらカネやら相当な賄賂を送っていたらしい、 大変だよね。 だから妃はマオマオたち女官を通じて、壬氏様に皇帝への手紙を預ける、返事を貰うをしていた可能性は高い。
宦官はなんで去勢手術をしてまで後宮にやって来たの? |
女官(にょかん)
・事務系の女官は 読み書きができる貴族の娘。 「今日は皇帝がどの妃に会いに行った」とか、「妃は妊娠何ヶ月だ」とか、「幼児の健康状態はこんなだ」とかを記録していた。あとは物資や金銭の帳簿なんかもつけていた。
・字の読めない女官は平民とか地方役人の娘が多かった。 でも たいていスキル持ちで、 定期的に来客が来たり、豊作を祈ったりする祭り があるので その時に演奏したり踊れる人たちだった。
下女 (ほぼ奴隷)
マオマオが言うように後宮の中では最下層の人たち。単純作業や重労働で、妃や女官を支えるパシリ。身分は女官の遙か下でほぼ奴隷に近い。
後宮に入るための審査は女官よりユルかったけど、犯罪歴がない人、健康な人(病気持ちはNG)、従順さ(口堅いか)はガッツリ調べられた。
採用基準は 健康第一。
下女は奴隷扱いだからいろんな出身の人がいた。元奴隷、貧困の子、犯罪者の家族、戦争の捕虜。丈夫で健康、文句言わず働いてタフでメンタル強い子が良かった。良家の出身なんて ほとんどいなかった。
選抜方法:地方から徴発(強制採用)されたり、奴隷市場で買われたり。農民の娘が税金の代わりに後宮へ連れて来れられるなんてのもあった。
契約:「数年働く」って送られる子もいたけど、一生出ないケースもザラ。でもちゃんと給料は出てたし 治安も良かった。
年齢:10代~20代がメイン。体力が必要だから、若くて元気な子が選ばれた。
特徴:美貌や教養は関係ナシ。むしろブサな子の方が好まれた(皇帝の気を引くリスク回避)。マオマオはレア中のレア。
下女の仕事はハード
掃除:部屋、廊下、便所の掃除
洗濯:妃や女官の服を洗う。ただし絹の服は繊細なので女官がやる、粗い布は下女。
運搬:食事、道具、薪、水を運ぶ。後宮は広いから、足腰ガッツリ使う。
雑務:妃や女官の簡単な世話(靴磨き)。祭事だと、裏方で道具を運んだり掃除。
特徴:マオマオみたいなのはレア中のレア。下女の仕事は単純で、体力勝負。教養や礼儀は不要。文字も読めないのが普通。リアルだと皇帝や妃と話す機会はない。祭事では、目立たない裏方。供物の台は運ぶけど、儀式自体には関われない。待遇はキツくて、休みほぼナシ。
ぶっちゃけ皇帝が下女に手を出すことはあったの?
歴史書には残っていない。残ってないけど、可能性はゼロじゃない。ほら皇帝も人間だから、額に汗して働く若いメイドにグッと来ることもあったんだろうね。 そもそも皇帝は下働きの下女とは接点がないけど、通りがかった皇帝が「あいつ、かわいい」って言ったら 最強だから、 8~9品あたりの最下級の妃にするのはルール上問題なかった。
ただ、身分の低い下女が女官を飛び越えて妃になったら 序列がぶっ壊れてしまうので下女も大変。後宮の端っこでこっそり妃になるか、特に子供がうまれそうになったら 宦官は堕胎させるか下女を追い出したり 最悪処理したりして大変だっただろうね。でも民間の伝承やら物語とかで「皇帝が下女に手を出して…」って話は好かれていたから、やっぱりあったっぽい。