野村監督最後の一冊 「生き残る技術」 感想

生き残る技術

セガサターンのゲームにプロ野球チームをつくろう!という傑作があって、監督に野村監督を選ぶと勝てるというのを聞いて 監督野村が出てくるまで人事交代の年度末はリセットしまくっていた。

今 思うとあの頃が野球人気のひとつのピークだったのかもしれない。

そんで、まだヤクルトの古田選手が現役時代の頃一度だけヤクルトスワローズのオープン戦を見に行ったことがある。

バックネットから見てたら 野村監督は その時代から指揮は 古田選手に ほぼほぼ任せていて、自分はベンチから ちょこっと出てきて ブルドッグみたいな顔で 誰か指して 選手交代だけして すぐ帰って あんまり姿を見れなかった。

「あっ 野村だ 野村だ」っつって そんなご無礼な事を言った思い出が残ってます 

今思うと野村監督はやっぱり人を育てるのも起用するのも非常に上手で 他の人にできるところは 他の人にやらせる 自分がしなきゃいけない所に集中するっていうことをやっていたんだなと思います。

そんなミスターID野球 最後の書を手にとって ノムさんを追悼したいと思う。

努力とはなにか

努力に勝る才能はなしという言葉があるこの言葉の意味を私なりに突き詰めていくと人から言われてするような努力は努力と言わず、気づいたら一晩中練習していたという自発的かつ自然に動いてしまっている状態にあるのが本当の努力だと思う

キャッチャーの仕事

キャッチャー。私にとって天職といえるキャッチャーは守備時におけるチームの司令塔である常に最悪の状態を想定しこうなったらこうすると事前に対策を練っておかなければならない危機管理こそがキャッチャーの仕事である。

マイナス思考の人間もいいことがある

マイナス思考の人間は自分の成功にはあまり目を向けずになぜ失敗したのか次も失敗するのではないかと失敗ばかりを考える

私も実際にして抵抗よりも失敗ばかりを考えて生きてきた だからそのおかげでなぜ失敗したのかと原因を探り 次に失敗しないためにはどうしたらいいのかと対策を立てることができた

だが 小心者でありながらも 心は強くあらねばならない

考える野球のきっかけ

私が真の意味で考える野球シンキングベースボールをするようになったのはドンブレイザーとの出会いがきっかけだ

ヒットエンドランの時、ブレイザーは「バッターは 二塁カバーに入るセカンド・ショートの動きを見てどちらに転がすか考えて打たなければならない。そしてそのためにランナーが毎回フェイントをかけて どちらがベースカバーに入るかをバッターに教える必要がある」と教えてくれた。 以降私はブレイザーを質問攻めにして 考える野球を自分の中に蓄積していった

不器用だからこそチャンスはある 

私は何をするにもとにかく不器用である。人と接するのも不器用である

プロ野球選手にも器用な選手と不器用な選手がいる。器用な人は不器用な人が2年も3年もかけるようなことを一瞬にして実現してしまう。

私は苦手だったカーブ打ちを克服するために必死に練習してデータを収集しピッチャーのクセを読むなど様々な対策を講じたが 器用な選手はそんな努力をするまでもなく いとも簡単にカーブを打った 

器用な人はそれが出来て当たり前だが、なぜそれができたのかということは考えない。

私のように不器用な人間はどうやったらそれができるのかを真剣に考え それを実現させるために工夫を重ねる。この試行錯誤工夫といった経験がその人だけの財産となる 

もしあなたが私も不器用ですと思っているのなら その不器用さに感謝した方が良い

最後は不器用が勝つ。

そう信じて生き残るためのあなただけの財産を増やしていって欲しい

根拠なき1球に結果はついてこない

優れたキャッチャーは3つの力がある。記憶力推理力判断力である 

バッターの特徴、過去の対戦結果、打撃の傾向を記憶しておく。そしてこの打席どうやったら抑えられるかを推理して判断する。

この三つの力をフル活用しないといけない。だからピッチャーに要求する1球には根拠が必要

何のために生きるのか

野村監督が読者に最後に問いかけているのは「あなたは何のために生きるのか」ということです。

これは宮崎駿監督が 取り組まれている「君たちはどう生きるか」と似ています。

野村監督は なぜこの問いかけを最後に持ってきたのか。これが人間の 最もコアな部分を映し出す問いだからだろうと思います。

なぜ会社に行くのか。なぜ学校に行くのか。自分がやってることは正しいんだろうか。

忙しい現代社会を生き抜く上でこういった疑問というのは 頻繁に出てきます。

そんな時になぜこれをするのかということを突き詰めて考えていくと

最終的に出てくる問いがこれ「なぜ私は生きるのか」という問いです。

もちろん簡単には答えられません。 

動物を見ても なにか目的があって生きる意味があるようには思えない。

つまりほとんどの動物には生きる意味など考えなくても生きてはいけるのでしょう。

でも人間だけが「なぜ生きるのか」ということを自分で作り出すことができる

アルカイダの人にとってしてみれば 自分が快楽を得るために生まれてきたのだ というような 思考回路かもしれない。だからこそ人を簡単に殺せる。

でも野村監督は「僕は世のため人のために生きているのだ」を選んだのでしょう。

そこから考えて 自分はどうしたらいいか、どう動いたらいいかというふうに 考えて行けばいいじゃないのということのような気がします

結局は何のために生きるのかということを決めておかないと 軸がブレまくってよくわからない人生になるよっていう事をおっしゃっているのかもしれません。

今の世の中はものすごく変わるし、変わるスピードも速い。

先が見えないから目先の利益を上げようとして 変なことをしてしまう。いろんな企業が不正をしている。

いろんな人が自分が何のために生まれてきたのかということを忘れてしまうと。そして死の間際になって後悔するんだと。

だから自分は何のためにそれをするのかというところを常に考えてそれに照らし合わせて行動するのが一番良いんじゃないか という風な事を言い残したかったんじゃないかという風に思いました。

広い視野を持っている人が無くなると 一気に火が消えたようになりますね。非常に寂しいなと思います。


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