ハイスコアガールとかで、アーケードゲームの全盛期を振り返りつつ、ああ スト2ターボとか
龍虎乱舞とかあったなとか思いつつ、それから100年たって ポリゴンでバリバリに動くスト5で3Dキャラになったキャラクターが戦っているのを見ると基本的に人間VS人間の熱いバトルっていうのは変わってないんだなとしみじみ思ったりします。すっかりジジイです。
100円を握りしめて自転車をこいで、SNKの筐体を陣取っていたあの頃は、メタルスラッグとかロボコップとかキングオブモンスターズとかパロディウスとか、よくわからん2Dゲームが満載の時代で、その中でなんでスト2だけ生き残って 寿命が長いのか謎ですが、時代を超えても変わらない引力があるのは確かなようです。
そして あのころからストリートファイターシリーズがやたら強い リアル大野みたいなプレイヤー それがウメハラさんだったりします。
なんでそんなに格闘ゲームが強くなったのよ
ウメハラさんはスト3時代のチュンリー ブロッキング動画から人気が爆発したように思いますが、なんであんなに格闘ゲームが強くなったのかが気になったので読んでみました。
「梅原大吾.勝負論 ウメハラの流儀」¥540
結論から言うと、勝ち負けにこだわるというよりも、自分自身を改善することに重きをおいているようです。なんというかウメハラさんは考え方からして違いました。
勝ちを捨ててはいないのですが、目先の勝利で喜ぶんじゃなくて、今回はこの勝負で どういうことを得たのか、そこの感覚を大事にしているそうです。
勝ち続けているかどうかは、中長期的な成長を続けているかどうかによる。目先の勝負に勝つかどうかではない。(中略)最終的に僕が成長し続けられる理由、そして結局は勝ってしまう原動力は、僕自身の思考のスタイル、そして自分だけの、あるいは他人が知らない知識を持っているからだ。
人マネで満足という落とし穴にハマらない
勝負の世界では、相手に勝つために少しでも優位に立たなければならないけれど、一般論として日本人はあんまり勝負が得意ではなかったりします。
ネットでは強いけど 争いはそんなに好きじゃないし、戦闘向きの体格でもないし、ケンカしちゃだめですみたいな教育を受けているんじゃ しょうがないです。
和を持って尊しとなすとか 昔からそういう感じですし、学校教育では社会に順応させるために周りの人に合わせて浮かない事を暗に強要されたりします。
枠からはみ出さず学校生活が終わります。でもそれだと勝負の世界では生き残れなかったりします。
それはそれで大切なスキルなんですけど、それでは 空気が読める器用な人を作ってしまって、その枠からはみ出す方法が分からなくなってしまいます。
しかも周りに合わせるので平均以上にはいけないです。下手すれば周りに合わせるために自分の能力をわざと下げることにもなりかねないです。
じゃあ学校でもトップクラスの要領のいい人はどうなんでしょう? 上手い人のマネをするのがめっちゃ速い子の場合は勝負で勝てるんじゃないでしょうか。
しかしこれも違っているそうです。そんな人がどうなるかというと
自分の思考方法や持っている知識が実は他人の持っているものと変わりがなく、ただそれを会得するスピードだけで勝負してきたことが露呈し、その後の成長が一切できなくなってしまう
すぐ成長して平均の上にはいけるし、短期的には勝つそうです。しかし真似をするのが遅い人だって努力をして後から追いついてくるので、勝負は5分5分になっていくそうです。
いや困りました。
どないせいっちゅーねん
基礎を固める
格闘ゲームに限らずどんな分野でもそうだと思うが、基礎があって初めて個性が生まれる。個性が生きて、その先の「勝ち続ける」世界が開けてくる。
僕が戦っている格闘ゲームでいえば、まず身につけるべき基礎は、使用する頻度が一番高い攻撃方法と防御方法、ということになる。
結局、勝負の世界で生き残っていくためにはその人にしか出来ないスキル・技術が重要だと説いています。
文中では基礎を正確に習得とありますが、あのブロッキング動画を見ていると その水準になるまで防御を練習していたのかと思います。なんというか求める水準が桁違いです。
無意識レベルでできるまで練習するのだから、やっぱり並大抵の練習量じゃないなという気がします。
本書にはじゃあ どうやって強くなるのか、成長させていくためにメンタルはどう作っていくのかという体験談が綴られています。独特の展開だし物語みたいで非常に面白い一冊です