【ご利益がありあまる】池谷裕二著 できない脳ほど自信過剰 パテカトルの万脳薬の効能

タイトルは挑発的だけど面白い

「できない脳」って言い方がひどいけど、どうやったら自信過剰が治るかってのが気になったので購入。

結論から言うと この「自信過剰」状態はあんまり心配する必要はなくて、物事を始めたばかりの初心者や よく分かっていない人がハマりやすいという話です。

例えば 小学生の時は「オラも頑張ればかめはめ波が出せる!」とか「いつかプリキュアになれる」と思っちゃいます。かわいいですが、実際は出せませんし、なりません。

時が流れて 新入社員で入って「業績を上げてやる!」と張り切っても、基本を憶えるまでは思うようにいかなかったりします。

で、そんな子は最初「井の中のカワズじゃん」と周りの子にバカにされて恥かいたりします。

けれどもいつまでも自信過剰というわけじゃなくて、徐々に自分に何ができるのか(実力)を認識していくんであんまり心配いらないよって話です。

こんな感じで みんなこういう罠にハマりやすいよ、ドンマイ。という感じで分かりやすく書かれています。

知るまでは怖いけど、知れば納得。みたいなトリビアが詰まった本です。

誰の本?

脳科学者 池谷先生の本ということで、パラパラと眺めながら読んでみると これがなかなかアハ体験で、ポイントをまとめておきたくなったので書いてみます。

この本は「週刊朝日」の連載をまとめたもので この本が2作目。前の本が『脳はなにげに不公平』という作品です。

この本は「うつには運動が効く?」「なんで仲間はずれが生まれるの?」「なんで悲劇をみたくなるの?」という素朴な疑問を 脳科学者の視点でズバッと解説してくれています。

池谷裕二先生は脳に関して ぶっちぎりで最先端を突っ走ってる人なので、新しい発見ばっかりです。

読んでいて「へぇ…」どころか「怖っ」と思うことも多い本でした。1項目ごとの完結型なので こち亀のように好きなところから読んで大丈夫です。

興味深かった内容を一部紹介したいと思います。


興味を持っている時は 記憶力はハネ上がる

興味を持っているときは記憶する力がパワーアップするという内容です。

例えばテレビで「広瀬○ずに新恋人が発覚!」という内容を見たら、相手は誰だッと興味がわきます。

脳が興奮状態になるわけです。その時に突然 全然関係ないジャパネットのCMが流れると、その全く関係ないジャパネットのCMの内容まで覚えてしまうというようなことが起きます。

脳内で「知りたい」物質が出ると 記憶力が一時的に はね上がる訳です。

なにかしら「気になる」とか「知りたいッ」と興味が湧いてる時は 全然興味がない内容でも、記憶力が上がる。そういうバグ的な要素が面白いですね。

テレビCMというのが無くならないわけです。

とはいえ、なにかしら興味を持ったほうが記憶力が上がるみたいですね。

ヒトは なぜ悲しい音楽を聞くの?
理由を知るとちょっと怖かった

実は悲しい音楽を聞くと快感を感じるそうです。なんで悲しい音楽を聞くと快感なのか?

仮説は2つあって、

1つは、悲しい思いを共感できるから。「あああなたの切ない思い分かるわー。」と歌い手さんに共感する事ができるので快感になる。

そして「そんな切ない思いが分かってあげられる自分ってステキ」というナルシスト的な心理も確認できるそうです。ちょっとキモいですが、深層レベルで自動的に そう思っちゃうのでしょうがないです。

そして もう一つの理由が、「所詮は他人の不幸、自分ではない」という安心感です。

しかしなんで他人の不幸が安心感なんでしょうか。ここで引用してみます。

 なぜ安心感なのでしょうか。根深い業です。悲しいかな、ヒトは本質的に他人の不幸が快感なのです。そんな卑劣な感情が自分に宿っていることは認めたくないかもしれません。しかし、他人が失墜すると確かに脳の報酬系が活動するのです。

動物たちの長い進化の過程で「仲間を蹴落としてでも自分の遺伝子を残したい」と願う自己保存の本能が育まれ、これが今でもヒトの無意識の脳に宿っているのかもしれません。

なんとなく、ホラー映画を見るのも このへんに原因がありそうな気がします。いやホラー映画を見て楽しむ分には平和でとても良いです。

ただ、いじめをするっていうのも自分が優位に立って快感を得たい、そんなサルみたいな脳で動いていたのかと思うと やるせない気持ちになります。

しつけ 叱っては逆効果らしい

よく買い物なんかに行くと、子供にブチ切れてるお母さんに遭遇します。毎日子育てストレスで大変なんだなーと同情します。しかし 残念なことに これも教育に良くないそうです。

母は子供の為を思ってしつけを頑張んなきゃと思ってるので 気の毒すぎます。

で、なんでいけないのか?
これを繰り返すと、子供の問題行動は確かに減ります。しかし副作用として自発的に何もしなくなります。チャレンジ精神を殺すわけです。

子供がなにか良いことをしてるのを褒めたほうが、「もっといいことをしよう」と伸びる可能性が高まるようです。

つまり、叱ってはいけないのです。理由は単純です。叱ると探索しようという意欲、つまり「自発性」が減ってしまうのです。はじめの一歩を踏み出さねば、学習することはできません。こうした点を見るにつけ、冒頭で挙げた「しつける」と「自発性を育む」は、実は、個別の教育方法ではなく、むしろ後者は前者に含有されるような不可分の教育スタイルであることが理解できます。

起こったり叱ったりする合わせ技の方が良くない?と思っていたのですが、それだと褒めるだけよりも伸びないようです。

いらんことしても無視。評価しない。という姿勢が求められるので、親は根気がいります。

例えば 日本人が英語できないのも、へんなこと言ってミスすると減点する減点法なので、生徒は「じゃあ余計なことを言わずに覚えたことだけ言おう」として自分からコミュニケーションにチャレンジしない傾向があるからなんじゃないかとセンセがいってたりします。

相手の言ってる所のどこがダメかよりも どこが良いのかっていうのを考えたほうが幸せになれそうです。

部下は褒めないと動かないという偉い人の格言は脳科学的にも間違ってなかったんですな。

こんな感じで ためになる話ばっかしです。

物事の方向性を矯正するという感じでしょうか。エッセイにしては価格が若干高めですけど、人工知能とどう付き合うのが正解かとか 今後30年を役立つ内容なので得する一冊です。

買ってすぐ ここを読みたいブックガイド的 項目

「へえ!」は記憶に残る
仲間はずれは必然的に生まれる
しつけは叱ってはだめ
ヒトは過去を都合よく歪める
脳の活動はコントロールできる   
「ヤル気」を生むための「ヤル気」を出す
快感と不快は紙一重    
可能性を秘める「共感」と「同情」の研究    
他人の不幸は蜜の味

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