もののけ姫の考察 Q&Aシリーズ後編 エボシって悪者なの? ほか

なるべく参考文献を参考にしながら ジブリの名作『もののけ姫』の疑問に対する解釈をあれこれ考えていくページです。前後編。前編

もののけ姫はこうして生まれた(以下:もの生)」「折り返し点(:折)」「風の帰る場所(:風帰)」の内容を参考にしながら書いています。

ジバシリとはどういう存在?
地走り、山の狩人。現代で言う山での戦闘で能力を発揮する特殊部隊という所

牛飼いとは?
お話ではあまり活躍しなかったけれど、あれも武装集団で、ただの労働者の集まりではありません。命令系統があって、戦闘命令の時には戦う人たち。

タタラ場に集まっている人たちはどういう人種?
”世間からはみだした人たち。人身売買で売られた娘、業病で身寄りがなかった人、牛飼い、近隣の侍と対立している武装集団。特命を受け持っている非人。元は山犬から切り取った世俗とは無縁の場所に集まるような陰のある人々。”

ジコ坊が持ってきた シシ神殺しの書状にはどんな意味があんの?
”その昔は 御神木なんかを伐る時に、そのまま伐ってしまえばたたられてしまうが、天皇の許し(勅許)があれば呪いがあったとしても その呪いは天皇家にいくと信じられていた”(生-p315)

師匠連とは何なの?
”師匠連て何者かと質問するスタッフに対しては君は徳間グループの一員だろ。とくまグループのトップが何を考えてどうやって政策を決めどういう方針で物事を進めているか知ってるか。知らなくてもやっていけるだろう。だからジコ坊だってそんな雲の上のことは考えないし解説などしないと答えていた”

タタラ場は室町時代にあったの?
ああいった巨大なタタラ場は江戸時代にもありませんでした。しかし小規模なタタラは室町期にもありました。(折- p71)

だいだらぼっちはどんな存在?
”あれは巨人伝説に出てくるもの。佐渡と越後をまたいだとか、あまりにもでかい存在。本当は大太法師と言うんですが、地方によって呼び名が違います。”

伝承では だいだらぼっちは山とか沼とかを作る大男だったりします。「もののけ姫」では昼のシカっぽい姿から夜になると巨大化しますが、神なので見た目も行動も人智を超えています。

(折- p31)

コダマはどんな存在?

森の中に住む霊的な何かだけど、何考えてるのかは分からない。

“森の中にああいうのがいそうだという感じは誰でも持ってると思う。森が精神的にないにも持っていた頃のイメージを考えた時に、森に踏み込んだ時の不思議な感じや誰かが後ろから見ているような、どこからか聞こえてくる不思議な音とかそういう気配のようなものを表現するのにこだまが出てきた。”

“それは見える人には見えるけど見えない人には見えない。良いとか悪いとかを超えている存在。 森の中のものが見えるという人に書いてもらったらああいうのができた。何もしないけれど目撃者としてそこにいるという存在”

“自然というのは役に立つのほうじゃないのかという感覚で見たらあのコダマも役に立たない。自然はある意味で役に立たないものだらけ。だから環境問題というのは役に立つから残そうじゃなくて、役に立たないから残そうという感覚でないと解決しないと思う。つまり役に立たないものも含めて全部が自然という感覚にならないと駄目だと思う”(関連:折-p97)

アシタカがヤックルに乗って西に向かっていく中で、襲われている村人はお百姓?野武士?
恐らく百姓。

”15世紀の初頭は刀を持っている人が大勢いて、江戸時代になっても百姓はみな腰刀を持っていたし武装していました。百姓と聞くとクワで畑を耕したり田んぼでイネを植えているイメージですが、実際は農業はたくさんある仕事の中の1つで、戦闘があると武器をとって戦う人もいましたし、商人や職人をメインにしている人など お百姓といっても いろんな生業の人がいました。”(関連 折-73p)

エボシってどんなキャラなの?
遊女・白拍子(平たく言うとダンサー)に見えますがどういう考えであのような女性を登場させたのか? という問いに対して

”悪路王を沈めた立烏帽子と言う絶世の美女の伝説があるんですが、海外に売られて中国人の倭寇の親分の妻になって 腕を磨いて挙句男を殺して財宝を奪って戻ってきた女とか、僕らの考えはだいたいその程度でした”(折-72p)

えぼしの初期設定はどのようなものだったの?
”辛苦の過去から抜け出した女。海外に売られ倭寇の頭目の妻となり頭角を現しついに頭目を殺し、その金品を持って自分の故郷に戻ってきた。

 ゴンザはその時ついてきた唯一のはいか。侍の支配から自由な兄弟な自分の理想の国を作ろうと考えているシシ神の森は誰の領地でもなくシシ神に属している。その土地を手に入れ猪や山犬を退治すればただの製鉄民ではない権力を手に入れられる場所にいる。”(生-p94)

エボシが明国の最新式の武器 石火矢を日本に持ち込んだらしい。

エボシは はじめ男にしようという考えもあった、けどスタッフに聞いて回ると綺麗な女性の方がいいという話になった。白拍子の格好しているのも同じことで、綺麗な方がいいだろうということで。

エボシは20世紀の理想的な人物。目的と手段を使い分けてやばいこともする。けれど理想を失っていない。挫折に強く何度でも立ち上がる存在。

エボシって悪者なの?
エボシ御前は森・動物を殺してタタラ場を作った。その点では自然を壊した悪い人間なんだけれども 鉄を生産することで病人や女性を助けた 、その点ではいい人なので、良いとも悪いとも判断が付きませんね。(折-32p

人間の歴史とはそういうものなんですね。善と悪だけで見ようとしても物事の本質は掴めない、誰と誰を悪役にするかといった区分けはしていません。

サンとアシタカはあまり手が汚れてないけれども これからそういう生活が始まるんです。困難が訪れることが予想される。でもその他大勢の人達は手を汚している。しかしそれぞれに理由があって、手が汚れたものを排除すればケリがつくという単純な問題ではない。

それを抱え込んで僕らは生きていかなくてはならない。好んで自然を破壊しているわけではない所に難しさがある。そういうところをそのまま見せることにしました。意識的にそうしたわけではありませんが 最終的にそういう映画になってたかなという気がします。折-33p

エボシがシシガミを撃ったのは真夜中ですが、ジコ坊は太陽が昇るまで数時間も逃げ続けていたの?

そうなります。ドロドロは相当遅くないと 体力的に逃げ切れないと思います。

このもののけ姫はどこの部分がフィクションでどの部分が現実ですか?

15世紀に日本人の自然観が変わったというのは本当。でも後はフィクション。

しかし鉄は作っていた、でもあんなに大きな工場はなかったし、製鉄の現場で女性が働いていたこともなかったはず。そういうフィクションとそうでない部分をごちゃごちゃに混ぜて作ってお客を騙すというのがこの仕事の醍醐味。(折-95p)

この映画は日本社会に対する批判を書いているんですか?

“現在の日本に対する批判というよりは人間という生き物の存在をもっと深く考えなければいけないという風に思っている。結果的に日本社会の有り様に対する批判にもなるでしょう。でもただの批判からは何も生まれてこないですから新しい感覚を作り出すことを考えるべきだと思っている”

“もののけ姫の中の非常に大事な部分として 憎悪をどうやったらコントロールできるかっていうテーマがあります。

タタラ場の人間たちは普段優しいけれどサンが入ってきた時にはみんなで殺そうとして、残酷になる。アシタカはそれを見るけれど、その村人を全部は否定しない

そういう部分もあるけれどその人たちを受け入れようとする。

そして自分のコントロールできない腕の力をなんとかしてコントロールしようとする。それは自分の内部で爆発する憎しみを何とかしてコントロールしようとする努力の過程です。”(関連:折-96p)

もののけ姫は日本の神話がもとになっているんですか?

“神話というよりもギルガメッシュ王の物語に影響を受けていると思う。

あと古代の山の麓に住む人たちは、山の中で製鉄していた人たちを怪物だと思っていた。火傷でただれたお姫様の話や 足を失くしたり手がなかったりする男の伝説が残っている。そういった伝承に影響を受けている。”(関連:折-96p)

何で山の神がタタリ神になるの?
一言で言うとランダム。なぜ僕の頭に鳩のフンが落ちてきたのかと同じように説明がつかない 不条理なもの。災難。(関連:折-p98)


サンとアシタカはそれぞれ自然と人間の側の代表みたいなもの?
サンは自然の代表ではなくて人間の犯している行為に対する怒りと憎しみを持っている。つまり現在生きている人間が人間に対して感じている疑問を代表する存在(折-101p)

この映画って 自然を大事に とか 自然とバランスをとりながら生きていくのが大事とか そういう自然環境へのメッセージを言いたいの?

“そういうふうに受け取ろうと思ってる人は多分映画を見る前からそう決めてかかっている人で、自然環境の問題メッセージとしてこの映画を作ったわけじゃない

むしろ一般に言われている自然環境に対する問題の捉え方に異議ありと言ってるわけです。つまり人間も他の生き物もひっくるめた世界の中で、人間の中に次第に増えていく憎しみを人間が乗り越えることができるかどうかを含めて映画にしたかった”(折-105p)

発展途上国で木を伐採しているけれども、それは先進諸国だってこれまでやってきたことじゃないのかってていうことが言いたいの?

“違います、人間というものは、賢い存在ではないんだけれども、それでも生きていかなくてはならないっていう映画を作りたかった。ヒロインは人間を否定している。それはこの世界に住んでいる多くの人たちが抱えている問題でもあります。

もしかしたら一番醜い動物が人間なのかと思い始めていて、それに対する答えがない。自分が正しい答えを持ってるとは思いません。むしろその問題を一緒に苦しもうと思っているだけ。”(折-106p)

映画のラストで森は蘇るんだけど何でそんな風に作ったの?

“蘇っているけれどももとの森とは違う。かつて日本で鉄を作るためにかなり木を切った後で、再び森が蘇ったことと同じ。その蘇った森は明るい森かもしれないけれど 伐採する前の豊かな森とは違う。そのことをわきまえて、自然と人間とのことを考えないと、これからのことは正しく考えられないと思った。”(折-103p)

もののけ姫は日本の特定の場所をイメージしたんですか?
“決まっていない。それをやるといろいろボロが出るから。一応中国地方のどこかですが実際にはない。九州だと(アシタカが)海を渡らないといけないから、海を渡らないで行ける場所ということで”(折-120p)

考察 みんなで考えよう。:もののけ姫が伝えたい事ってなんですか?

いろんな要素が積み込まれているので受け取るメッセージは視聴者さん次第….と逃げたいところですが、それでも面白くないので いくつかひねり出してみたい所です。

・自分が呪われていると思っていても、諦めずにあがいて生きよう。
(これが監督が視聴者に期待していたメッセージの1つ)

・人類は怒りをコントロールする事ができるのか
(これも監督が言及していたメッセージの1つ)

・自然と人間双方生きることが大事
・意外と自然の猛威にも勝てちゃうけど、勝っちゃうと また別の問題が出てくる。
・自然は無慈悲で不可解
・自然の風景を一度破壊して再生したとしても 元の森ではない。
・良かれと思って尽くしても 理不尽な扱いを受けることもある。それでも頑張れ。
・障害のある方に分け隔てなく接することができるか
・困っている人同士の結束は強い
・女性は現代人が思うほど弱くない
・策もなしに 怒りに任せて突進すると全滅する
・敵対する集団の中にも仲間はいる。
・善も悪もはっきりとは分けられない。それぞれに正義や事情がある。憎悪と殺戮の世界の中でも美しいものや人、すばらしい出会いはある。

…etc


まとめているうちに朝になったので終わりにしたいと思います。決して変わらないテーマを含んでいるので 人によってつかみとるメッセージは違いますね。どれもまた良しです。

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