【書籍の感想】言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか

言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか (集英社新書)

すごい売れているこの本 読もうと思ったらアマゾンで売り切れていて、9キロ離れた本屋さんで発見。残り2冊でした。真顔でねずっちの格好しているのが面白い。

 日本でもトップクラスの芸人さんが書いた本だから 感性がよくわからない部分もありました。

なんか読んでいるうちに本に取り込まれてしまったので、以下の文章は 塙さんが言ってたような気がするというメモ書きです。

笑いを判断するのは観客

・お笑いというのを採点するのは観客。ナイツのヤホー漫才も初めて 偉い人に見せたら、小ボケばかりで駄目だからやるなといわれた、だけど 自信があったから やったら、めっちゃウケた、そしたら手のひら返して「いいね」となった。

結局 養成所で採点する指導者も観客の1人でしか無い。その人にウケても観客にウケない可能性もある。ましてや観客は若年層中心で、どんどん入れ替わっていくから、これから何がウケるかはやってみないと分からない。

M-1は短距離走

・M-1というのは4分しかない。その4分で自分たちがこんなに面白いというのをアピールする場。話術のスプリントと言ってもいい。

・4分というのは短い。だから瞬発力が求められる。オール巨人さんの話では間に7,8点くらいの笑いをとって、最後の30秒で10点満点の笑いをどかん どかんと獲って終わるのが理想

・4分しかないから一切の無駄が許されない。2018年のゆにばーすの出だしは惜しい。爆弾作ってそうなやつと実行犯でやっていますというと、 最初に「怪しい奴なんだ」とネタばれをかまされたような感じになって 後半の爆発に影響する。

でも 最初のつかみが遅くてもうまくいかない、それくらいにデリケート。

M-1の客は冷酷。

・観客は冷酷なくらいにシビア。予選で受けたネタをやって、これが受けたから決勝で似たようなネタをやろうと思っても「なんだ同じネタか、違うネタを期待してたのに」とがっかりされる。滑るかもしれないけれど新ネタで挑むか、それとも逆に似た内容でいくか、一か八かの度胸が土壇場で試される。

ネタを練習しすぎるとなぜ良くないのか

・ネタは実際に現場で試さないとわからない。

・自虐ネタは難しい。2018年のギャロップさんのネタは「ハゲの自分が合コンに行く」自虐で笑いを取るネタだったけれども 一本調子でちょっと暗くなっていった。一方2016年のトレンディエンジェルと2018年のミキはブサイクをネタに自分を引き立てていた。

どっちもハゲとブスをフル活用しているというか、掛け合いの材料にしていて暗さは感じさせなかった。ギャロップの場合はコンプレックス要素として出しすぎた。そこらへんの微妙な印象の暗さ、明るさのワット数の違いを観客は感じ取ってしまった。

・練習しすぎると良くないというのは、相手がどう返してくるのか読めてくるので、知っている感が出てしまうから。新鮮さを出すためにあえて台本とは違うことを返して 相方をびっくりさせたりとか、そういうのもやったりする。ツッコミ役がボケの話を面白がってないとお客さんも笑わない。

・だけど漫才師だから常に面白いネタを生み出している。

M-1で勝ちやすい形はある程度決まっている。

ハライチ岩井さんの苦悩

・M-1で優勝することを目標にしてしまうと、それに合わせて自分の持っているいい部分を捨ててしまって 最適化しようとしてしまう。多分ハライチはそれで苦悩している。

自分が面白いと思っているところをことごとく否定されている。

・ハライチ岩井さんはM1で漫才するのを 古典落語のコンクールで新作落語を披露しているようなものだと言っている。だから新作に対する熱意があると思う。たしかに新作が軽視されがちな側面はある。

そういうジレンマは関東芸人が抱える問題だけれども、一旦 優勝の事は脇に置いて 人を楽しませる原点に戻るということも大事かもしれない。澤部は強いが岩井は弱く、岩井らしさが見えない。

新作が評価されないというよりも M-1はそういう場ではない

岩井さん的には新しいネタで評価して欲しい思いが強いけれども、塙さんにはM-1は そもそも 話の技術を競い合う大会なので、2人のしゃべりで笑いを生み出す。しゃべくり漫才と呼ばれるスタイルがM-1では評価されているのは当然だよねというスタンス。

・面白ければなんでもありになってしまうとR-1みたいになってしまって、芸人さんも一体何を磨けばいいのかよく分からくなってしまう。

・会話だけで笑いを生み出すのはやっぱり関西が強い。日常で既に笑いが起きやすい。そして関西にしか無い言語もある。例えば「なんでやねん」というのは大阪にしか無い。関西弁にはパワーが有る。

「なんでですか」とも「なんでだよ」とも違うニュアンスを与える。関西人の必殺技みたいなもんで、だからしゃべくりは関西は強い。

・ハライチ最大の発明はノリボケ漫才だけれども、盛り上がりをグラフで書くとずっと横ばいで最後にちょっと跳ねるくらいなので、優勝するにはずっと右肩上がりで後半に爆発する事が必要。

噛むのがなんで悪いのか

・M-1で噛むと観客の意識がそっちにもっていかれて、ネタの威力が半減するから。2007年のオードリーみたいにうまく対処できたらいいけど、なかなかできない。春日が噛む→「お前がなんとかしろよ」「できねぇよ これなんとかできたら もっと最初から来れるだろ決勝に」

山ちゃんは何が凄いのか

・南海キャンディーズの山里さんが天才はあきらめたという本を書いたけれど、彼は天才ストライカーで、ボケを泳がせた後で、ツッコミで笑いを取るという図式を完成させた。

それまではボケが笑いをとるというのがほとんどだった。さらにすごいのは静ちゃんに攻撃的なツッコミをしていない。どちらかというと あやしたり お願いしたりしている。

笑いの元となるものは不満

・普通の関西の漫才は大抵 何かに対する怒りや不満がベース。

・関西人はお笑いとか、そういう細かい心の動きみたいなものをとらえたりするのがうまいんだけれど、そんな人がごろごろしている中で子どもが育つから、お笑い筋肉が全然違うと、その辺がサッカーでいうところのブラジル。


話の中では、初年度のキングコングのスター感がすごいとか、初代チャンピオンが中川家で良かったとか、2010年のスリムクラブは多分 歴代で一番喋ってないけど 一番笑いを取っていてエコだとかそういう思い出話がでてくるので 全部プライムビデオで見れるので気になる方はどうぞ。

塙さんの解説書を片手に見るM-1は 全く違った感覚です。

読んだ後だと、若手芸人さんとは違って、面白さだけを追求しているわけではなくて、やっぱりM-1という仕組みがどういうもので、それに対して 自分はどんな笑いを提供するかを理解していて、 「実際に勝てるか? いや今回は向こうに勢いがあるから勝てないだろう」と 自分たちすら 冷静に見て シミュレーションしていることが分かりました。

もちろん しゃべくり形式が有利なのは芸人さんは全員分かっているんだろうなと思うけど、それでも 2018年のジャルジャルさんとか、紆余曲折あったけどM-1に挑戦する南海キャンディーズを見ていると 絶対に譲れないスタイルもあるんだろうなという気がします。

M-1を巡っては芸人さん それぞれの視点があるので、いろんな本を読むと また全然違った全体像が見えてくる気がします。

漫才はどっちが勝ちなのか負けなのかが分からない 非常に不透明な領域で、さらに浮き沈みも激しいのですが そのなかで どんな風に思考して、なにを意識しているのかが静かに伝わってくる良書でした。

【ナイツ・塙宣之】「 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか」

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