シェンムー3が出るまでの「沈黙の18年」の軌跡をまとめてみた【ログ】

シェンムー横須賀が発売1999/12/28
シェンムー2発売 2001/9/6
シェンムー3発売 2019/11/19

シェンムー3が出るまでの18年間にどんな事があったのか 整理したくなったのでログの保存をしてみた。

シェンムーの産みの親は バーチャファイター

1997年頃まで、ドリームキャストが登場する前は 家庭用ゲーム機の性能はイマイチで、ゲームセンターにあるアーケード機の方が性能が良かった。

だから その頃のちびっ子は みんな最新のアーケードゲームを遊びたくて 100円を握りしめてはゲームセンターに通っていた。

ハイスコアガールの舞台になっている バーチャファイター、ストリートファイター、メタルスラッグ全盛の時代である。

ところが1999年くらいから家庭用ゲーム機の性能が一気に上がってアーケード機との差がほぼ無くなった。特にPS2やドリームキャストが登場すると、アーケードゲームで出来ることは、ほとんど家でもできるようになった。

そのころのセガには一人のエース開発者がいた。鈴木裕さんだ。 今の人にわかりやすく言うと、鈴木さんはセガ版の堀井雄二+小島秀夫みたいな人だ。

鈴木さんはそれまで アーケード機で シューティング|レース|格闘ゲームを開発してきた。

そんな鈴木さんに気になる事ができ始めた。ゲームセンターでは 一人のプレイヤーが100円を入れて ゲームを遊べるのは平均3分程度だった。

しかし、家庭用ゲーム機ならば プレイヤーがもっと長い間 自分の作品を遊んでくれる。

鈴木さんは 一つの長いプレイでメッセージを伝えるということをやりたくなった。そこからシェンムー開発はスタートする。

シェンムー前夜

鈴木さんはRPGを作ったことがなかった、だからセガサターンで桃のじいさんという実験用のプロトタイプRPGを作った。これは それなりに上手く動いた。

しかし 新規のRPGを1からヒットさせるのは大変だと考えるようになった。だから 知名度があるバーチャファイターを土台にした バーチャファイターRPGというのを最初に考えた。

鈴木さんとしてはキャラクターの知られているから行けるのではと思ったらしい。

それで開発を進めたものが、シェンムーに変わっていった。シェンムーのストーリーが中国になったのは、実はバーチャファイターが下地にある。

バーチャファイターに登場する主要キャラクター アキラは八極拳の使い手だ。ラウは酔拳を使う。キャラクターにはそれぞれに技が140種くらいあった。

舞台を中国にすれば開発コストを下げられるというメリットがあった。このバーチャファイターの動きをシェンムーが受け継いだ。

なぜバーチャRPGににならなかったのかというと、セガがドリームキャストを出したからだった。新ハードが出たことにより、キラータイトルが欲しいという話になった。そこで新IPのシェンムーになった。

終わらぬシェンムーの開発

セガの期待を受けた シェンムーは大掛かりなものとなった。当時は珍しかったオープンワールドの世界を構築するためゲームエンジンの開発から始めなくてはならなかった。

モーション・キャプチャーを取り入れ、特殊効果、衣装制作、時代考証、建築家など専門家などを呼び寄せ、大規模なロケハンも行い、スタッフも増えていった。

シェンムーは普通のRPGではなく、プレイヤーが旅を出来るRPGだ。会う人それぞれ喋ることが違う、服装にも個性があって、モブキャラ一人一人にスケジュールがある。

入力作業は膨大になり、終わらない開発はやがてゲーム界のベトナム戦争と呼ばれるようになった。

開発費は4,700万ドル(約50億円)。99年の年末、オープンワールドRPGの先駆けとなるシェンムーは誕生した。

開発資金を回収できるのかと不安視されたものの 無事に回収した。 ところが 開発費用が当時としては異例だったため、その後 赤字だったとか、セガが傾いた原因 とのガセ情報も流れた。

セガはドリームキャストを出したもののFFシリーズを擁するPS2に押され ハードのシェアは伸びなかった。

シェンムー2を出すも、セガの経営状態は少しずつ悪化していった。世界同時不況が重なり、セガは2008年 従業員の1割強を解雇。セガは資金繰りに苦しむことになった。

シェンムー3を作りたい 出さなければという思いを ずっと持っていた鈴木さんは 2008年 自己資金で YS NETを立ち上げ 模索を始めた。

その間も 外国を中心に シェンムーの続編について聞かれていた。小説でもいいから続きがみたいという意見まであった。だが鈴木さんの思いも虚しく 資金がないことにはどうにもならなかった。

キックスターターまで

そんなある日 意外なところから転機が訪れた。

鈴木さんの知り合いに マーク・サーニーという大物がいた。この人が鈴木さんをRepubliqueというゲームでキックスターターを成功させたライアン・ペイトンという人に引き合わせくれた。鈴木さんはライアンと話して キックスターターに取り組んだ。

鈴木さんは2015年E3でシェンムー3の開発を発表することにした。会場ではFF7リメイク 大鷲のトリコが発表され注目を集めていた。

鈴木さんは今更シェンムー3が受け入れられるのかと不安だった。しかし シェンムー3の発表とともに歓声が上がった。

キックスターターは成功しギネス記録となる 約7.6億円の資金が集まった。

こうしてシェンムー3開発は始まった。

シェンムー1のシナリオは冲方氏などの 有力脚本家とミーティングを重ねて完成させた。しかし今回は鈴木さんがシナリオのかなりの分量を担当することになった。

シェンムー3は発売日が何度か延期されたが、 ギリギリまでバランス調整を行った。具体的にはバランス、バトルの調整と ストーリーイベントの追加を行った。

夢の続き シェンムー4へ

セガに限らず 長期的な不況が続く現在は 予算と売り上げのバランスを見ながら開発するのが当たり前になってきている。

かつて世界を魅了した日本のゲームは いつしか 納期を厳守し、そこそこのものを出すという産業になっていった。

しかし出資者の期待を背負った シェンムー3の場合はその心配は無用だった。 古きセガの魂を封じ込めたような 妥協を許さない作りに仕上がった。

シェンムーのストーリーは全11章、最低でも5作品だと言われている。

Twitchを見ていると日本、アメリカだけでなく ロシア、中国、ドイツ、フランス 多くの国の人がシェンムーをプレイしている事がわかる。

シェンムーは1の頃から万人受けするゲームではない。一度消えかけた炎に再び火を付けたのは熱烈なファンだった。

今回の3はシェンムーの続編を待ち続けるファンが作った作品でもある。

ここから先は もうシェンムーの冒険が止まることはないだろう。鈴木さんは現在61歳。涼の冒険がどんな形で完成するのか見届けたい。

シェンムー3の「街」は今後のRPGを変えるかもしれない【レビュー】


参考:【GDC 2011】鈴木裕氏が語るアーケード筐体開発秘話

[GDC 2011]「バーチャファイター」の生みの親 鈴木 裕氏の経歴を振り返るセッション

『シェンムー3』鈴木裕インタビュー。「旅を終えたとき、ゲームをクリアーしたとき、何が残るか。それが『シェンムー』だと思います」

週間ファミ通 2019年12月5日号

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