【ドラクエ ユアストーリー】シナリオ5点 DQ5の同人誌をピクサーが映画化しちゃったくらいのクオリティ【感想】 

怖いもの見たさで見たドラクエ ユアストーリー。ネットフリックスに来てたのを見た。
1年遅れで被弾。

「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」予告②

なろう小説の人に頼んだほうがマシだった。

もう宇多丸さんがボコって焼け野原になっていて することはないんだけど ヒマだから焼け野原をスキップしながら眺めていきたい。

シナリオで壮絶に滑るってのは学ぶ所が多い。

聞いた話ではこの脚本家(ザキヤマさん)は周りの意見はあまり聞かずに 僕が考えた〇〇っていうのをそのままやる人らしい。だから思い込みが強いのではないかという話。

しかし つくり手のメッセージ性が強くても 宮崎駿監督みたいに「こうしたほうがおもしろいよね」っつって成功する人もいるけど、ザキヤマさんの場合は「それじゃない」っていうのを高頻度でやってくる。

普通は 「でもザキヤマが書くのは そういう脚本だから わからない新参が悪い」っていう悪性のファンがつくもんなんだけど、それすらいないっていう希少種だ。

映画好きの人達からすると 「またあいつ?」カテゴリの人になっている。

で、ザキヤマさんの仕事の流儀としては ・すでに一定のファンが付いている ・昭和時代に生まれた ・成長しきったコンテンツに対して、二次創作みたいな感じで自分の解釈を加えて作品にする事が多い。ドラえもん ルパン ドラクエ。

全部 全盛期が過ぎて 安定期に入ってるやつだ。ドラクエは すでに知名度があるから 誰が脚本をやっても 客がつくと思う。むしろ これで滑るほうが難しい。

手法としては、シナリオを進めるのに必要なパーツを集めて、視聴者の好きな部分を3DCGでリメイク。 最後にオリジナル解釈をつけて閉めるっていうのがパターンとしてあるようだ。このオリジナルの要素が 視聴者に合うか合わないかで評価が分かれる。

ラストで回し蹴り

今回のユアストーリーのメインターゲットはドラクエ5をやっていた世代。 今をときめく おっさんの私もターゲットの1人だ。

もうネタバレもクソも無いから言うが、この映画はラストで「いつまでもゲームなんかやってんじゃねぇよ 大人になれ」という強烈な回し蹴りをぶちこんでくる。

それまで「うわー すごいー ドラクエ5の世界をこんなCGで遊べる日が来るといいなー」….とすっかり 10歳の心に戻っていた おっさんのわたしは 急にみぞおちにくらって 床でゴロゴロしながら悶絶するわけである。

薄れゆく意識の中で 「もうお別れだね パトラッシュ」っていいつつ、「あれ?でも 俺が見てたのってSM映画だっけ?」っていうのが走馬灯に出てきた。

ザキヤマのメッセージは部分的には正しいので  一瞬 それもそうだね いい年こいてアニメ映画なんて 子供っぽいよね グスン(嗚咽) なんて説得されかけるんだけど 、もうひとりの脳内弁護士が「いやいやいや、ちょ待てや!」と 死なない程度のホイミをかけてくる。

じゃあ ザキヤマのいう大人って何?

そもそも 映画自体が 娯楽なので、いつまでも そんなの見てる暇があったら働けっていうのはどの作品でも言えるじゃないかと。

そんなもんゲームだけでなく、テレビもそうだし 野球観戦 相撲観戦 競馬も温泉もそうなのである。

ザキヤマの言ってることは 競馬場に行って「いつまでも夢見てないで おとなになれバーカ」って言ってるのに等しい。

ザキヤマは言ってきてくれ。そっちのほうが まだ共感できる映画になると思う。

それに競馬や野球観戦に熱中するのは良くて、なんでゲームに時間を費やしている人だけが「大人になれ」に該当するのか よく分からない。

仕事が終わって 子供連れて見に行って そんなの聞かされたら地獄だ。

自分の時間をどう割り振るかは人それぞれだが、 ザキヤマの「大人」イメージは お金を生み出す行動だけをして、非生産的なことに時間を使わない人なのだろう。

だけど、30年前にもあった 手垢のついたメッセージを 今更 見せてくるほうが非生産的に思えてくる。

そもそも NO娯楽生活であれば お金は回らない。

ザキヤマの「良いの価値判断」は勤労こそ神への道!のプロテスタントなのか、70年代の猛烈社員全盛イメージか、馬車馬のように働けという新自由主義で止まっていそうだ。

しかし 今の時代 コロナで企業がバンバン潰れているし 「大人」と職業上のステータスは一致しない。

頑張って働いていたのに 無職の人だって いっぱいいる。そんな人に「大人になれ」と言い放つことは正義なんだろうか。

ドラクエが映画でやらないといけなかったのは つまづいた大人に対して「でも それも冒険じゃないか」と言ってやることじゃなかったんだろうか。

風向きが変わったら俺の会社だって潰れてしまうかもしれない。 でもあきらめたら そこで終わりだ。そもそも 人間の価値は金額では測れない、大事なのはどう生きるかじゃないか?

金や地位なんか無くても 俺たちみんな 一緒のドラクエで熱くなった世代だ。多少 差がついても 大局から見たら大差ないんだ。最後まで一緒に頑張ろうぜ! としたほうが おっさんたちも まだ救われたと思う。

「大人になれ」を聞いた時に感じた矛盾

それに比べて ザキヤマの主張は 映画なんか見ずに脇目も振らず働いてろバーカって言ってるのに等しい。 もう思想が幼稚だ。なんでこんなのが脚本? なにを思って これに依頼した?って思ってしまう。

大人ではない人の言う「大人になれ」ほどウザいものはない。それは「静かにしろー!」と図書館でチビッコに怒鳴っている ハゲオヤジのようである。

その矛盾を 視聴者は どこかで感じ取ってしまったのだろう。

物語は取って付けたように自分たちがゲームの中で体験した時間は 幻なんかじゃなかったんだみたいな感じで進む。

この言葉自体も借り物感がある。クリエイターならもうちょっと ひねりを入れてこいよと思ってしまう。

そして、この主張も「大人になれ」の反論になっていない。

腹パンされたあとで「 はい 今のナシ!」っていわれる理不尽さにも似ている。

ここまでくると 温厚なフワちゃんでも「んもー 黙れザキヤマ」と言いたくなるだろう。

ザキヤマの「RPGをやるゲーマーってこうなんだろ? いいよねー」という 浅い解釈を見せられて、 いや そもそも なんでこんなガラクタみたいな脚本で作ろうってなったんだろうっていうのに興味が移ってしまった。

過去の栄光を語ってる作家は危ない

どんなものであれ、一回 大ヒットをさせると脚本家は王様になってしまうものらしい。

王様の周りでは 「あの人に任せておけば映画はヒットするんだから何も言ってはなんねぇ!」という雰囲気になってしまって、出来上がったらゴミだったりするのだろう。

(あれ これ別の監督にも当てはまる気がしてきたな。)

2流に対して 「誰も言ってはならぬ」状態になったときが 最も危険で、放置すれば悲惨なことになってしまう。ここに落とし穴があるように思う。

過去作がヒットしたからと言って 違う映画の仕事を任せるのは結構危険だ。

この映画でスクエニは結構な赤字を出したと思うものの、ドラクエを3DCGで映画化するという目的は十分に達成できたと思う。めげずに新しい ストーリーを見せて欲しい。

今後 ドラクエの映画があるとすれば その時の脚本が誰になるかが非常に注目だと思っております。

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