【読書感想文】森 博嗣 「面白いとは何か? 面白く生きるには?」→「ひきこもりが生みだす」

森さんの「面白いとは何か?~」は面白さの作り方が分かる本ではないんですね、 面白さとは何かというのを森さんと一緒に考える本です。

こうやれば絶対面白くなります! なんていう方程式はないそうです、そんなのがあったらよしもとの養成所なんて無くていいし、みんなベストセラー作家か人気者です。

じゃあなんで読んだほうがいいかというと、自分の中で「面白いってどんな風につくるんやろうか」という疑問に自分で答えるチャンスが生まれるからなんですね。

ちょっと考えたことをまとめますね、

吉本興行の芸人さんは 笑いは緊張と緩和で生まれるとかいいます。例えば

強面の体育の先生が入ってきて、「挨拶がなってないからやり直しだー」と一喝した後で、

先生が ふと黒板の方を振り返った時にジャージの お尻の所に穴が空いていれば大爆笑が起きる。そういうのが一つの笑いの形としてありますね。

でも 面白いというのはゲラゲラ笑える笑いだけではなくて、 名探偵コナンが 鮮やかに事件を解決するというのも面白かったりするので、笑いがなくても面白いっていうのは別にあるというのが分かります。

「可笑しい」 → 笑える、 ギャグ、 ユーモア、 苦笑、 ほのぼの、 癒さ れる

 「興味深い」 → 考え させ られる、 好き な もの、 気づき が ある、 調べ て い た もの

「思い どおり に なる」 → 考え た とおり、 予測 が 当たる、 繰返し、 同感、 共感

 「手応え が ある」 → 簡単 では ない、 やり 甲斐、 難しい、 珍しい、 達成 感

 「動き が ある」 → スリル、 目 が 離せ ない、 どきどき する、 加速度

 「意外 性」 → 驚き、 予想 が 裏切ら れる、 例 が ない、 新しい、 変 だ 

「欲求 を 満たす」 → 美味し そう、 格好 良い、 セクシィ、 可愛い

森 博嗣. 面白いとは何か? 面白く生きるには? (ワニブックスPLUS新書) (Kindle の位置No.1854-1859). ワニブックス. Kindle 版. 

「面白い」は範囲が広い。

YouTube で動画投稿やってみると分かるけれども、面白さを演出するのは難しい。

笑いのプロ とんねるずの石橋さんが新しくチャンネルを開設したけれどチャンネル登録してるのは大体60万人。とんねるずのお笑いを熱狂的に求めている人は大体60万人ぐらいってことになる

それから私はとんねるずよりも千鳥の方が好きなんだよねっていう人もいる。 つまり面白さっていうのは料理に近くて、それをうまいと思う人もいるし あんまし~。と思う人もいる。そういう不思議な面を持っている

そして面白さっていうのは他人が同じような事をやってもう再現性がない例えば私が空前絶後のと言っても面白くないけれどサンシャイン池崎がやると 多分面白い。

面白さっていうのは自分で作らないといけない。

子供の時は例えばみんなと遊んで、 野球で球がうまく取れない人が 球を股間に当てて大爆笑してた 面白さは誰かが作ってくれるものだった

大人になってくると友達と会うこともなくなってしまって結局一人の時間が増える。老人になれば尚更そうだし楽しみっていうのは自分で見つけることが増えてくる

だから楽しみってのは与えられるものではなくてやがて与えられる様になっていったほうが健全なんだけどそうじゃない大人も結構多い

よく飲みニケーション何て言うんだけどもあれって集団に所属してバカ騒ぎしないと楽しみが得られない人たちの集団だったりする。誰かの失敗談を共有して笑うみたいな。

そういう楽しみ方もあるけど 相手が必要だから長続きしない。会社にいられなくなったら関係は終わりになる。それに気の合う相手が肝臓を悪くしたりしたら 結局自分で飲むしかない。結局人間ってのは一人でなんとか楽しみを見出していくしかない存在とも言える

大なり小なりみんな孤独の中で面白さを見つけていくしかない。

そこんとこ埋めるべきなのは恋人じゃない 親でもない。

だから飲み会は悪い面も有る。厄介なことに付き合いで行かされてたら自分だけの楽しみってのもなかなか見つからないかもしれない。

だから孤独に慣れてるひきこもり系Youtuberなんかは その分だけ先を行っているともいえる。ネットも有るし、一人でいることが必ずしもマイナスでもない。

面白さは自分で作り出すもので 誰かが作った体験なり映像を見て自分はどんな風に作り出すのかというようなことを考えて実行するだけでも結構面白いのかもしれない

こういう風にみてみると あらゆるものが作品に見えてくる。つまんねぇ作品でもこれはあんまり面白くねえなあ、それはなぜかという風に考えることができる。あらゆるものが お手本になってくる

迷惑系Youtuberへずまりゅうが持つ面白さ

彼は 私にしてみればかなり面白い人物に他ならない。もちろんいきなり やってきてコラボお願いしますというのは当事者にとって 甚だ迷惑ではあるのだけれども他人のところに凸してメントスコーラお願いしますと迫り 他の人がどういう反応を見せるんだろうかというのは結構なエンターテイメントだったりする

メントスコーラではなくて、黒ひげ危機一発で負けたほうがコーラ一気飲みでも成立する。

へずまりゅうは 仕事ではなくて楽しくてやっているんだっていうのを言っていたような気がするけれども、それは半分は本当だと思う。

実際問題、自分が企画してどんな映像が取りたいのか そのために自分が何をしなければならないのかと考えて実行してうまくいくっていうのは脳内物質が出る。

ただ悲劇なのはへずまにとっては面白かったが大衆にとって受け入れられなかったことだ。

厄介なことに面白いものは 難しいときている。だからヘズマにとっては大物ユーチューバーとのコラボが成功するかしないかで最高のスリルを感じていて、それが面白かったのだろう。

見るよりもやる側が面白い。漫才師も相手が笑ってくれて 注目されて初めてエンドルフィンが出る生き物で、そのために舞台に立つようなところがある。 

世間の評価=面白さの客観的な評価とはならない

難しいものほど面白い

ダークソウルという鬼畜ゲーと呼ばれるジャンルがある、基本的に自分の出せるギリギリのレベルでやらないと面白くない。難しすぎてもダメだし、イージーすぎてもだめ。

頭使って考えてそこを乗り越えた時に初めて面白さが得られる。失敗して原因調べてそれを乗り越えるときにはじめて面白さがでるような。

アウトプットしていい

ネットの中だと素人が発信していいのかみたいなねちょっと躊躇する人と全然躊躇しない人がいてその躊躇する人は自分を低く見積もってるから、そんなふうに思うかもしれないけど

自分の子供時代を思い出して欲しいんだけど自分がサッカーを始めた時に先生にお話聞きに行かんでしょ。

自分の周りの友達で知ってそうな奴に聞くと思うんですよね。その程度で十分です。

その人の話を聞き終わったらもっと上の人に聞きに行くから自分がどんな段階でも出してしまえばあの話は聞いてくれると思います。

もうアニメにしろゲームにしろ、ビッグヒットするようなものは出ない。

それだけ人々の生活が多様化してしまって 価値観も多様化してしまって、どこで笑うのかどこが引っかかるのかも全然違うような感じになっている。

ビッグヒットするのは ある程度無属性の人たちがウワーッと寄ってくるときだけだと思うけど それも長続きはしない。

新しい物っていうのは探すのは難しくなっているけど ヒントはそこらじゅうにあると思いますね。毎日が退屈で面白さを生み出したいという人は読んでみると良いかもしれません。

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