『ノーカントリー』は、最初見た時は 「なんだこの鬱展開 、キノコ死なないの!?」と思いましたが、 この救いの無さが 原作者コーマック・マッカーシーの芸風という話で納得しました。 原作者も コーエン兄弟も明確な「答え」を提示してません、なので視聴者が「こうなんじゃね」「ああなんじゃね」と自由に話し合ってヨシという構造になっています。
私の中では モスの妻は100死んで完結してますが、異論は認めます。そもそも登場人物が多くて、物語も複雑なので、今回は主人公の老保安官ベルを中心に、映画のメッセージを考えてみます。
老保安官ベルの視点
ベルは祖父、父に続く3代目の保安官で、古き良き価値観を体現する人物です。彼は作中で繰り返し「時代が変わった」と語ります。かつては拳銃なしで仕事ができた時代もあったのに、今は犯罪の質が違い、理解しがたい暴力が蔓延している、と。殺人鬼シガーや金を持って逃げるモスは物語を進めますが、ベルは常に一歩遅れ、時代の変化に追いつけません。
普通のハリウッド映画なら若くエネルギッシュな保安官が主人公ですが、引退間際のベルを主役に据えたのは、時代の変わり目を彼の目線で描きたかったからでしょう。ベルは、犯罪にもある種の理性があった過去を知る者として、現代の無秩序に戸惑う姿を象徴しています。
「時代が変わった」だけではない
しかし、映画のテーマは単なる「昔と今は違う」という話ではなさそうです。終盤、ベルが叔父を訪ねると、祖父が強盗に立ち向かい死んだエピソードが出てきます。昔も無秩序で、暴力は突然だった。叔父は「この国は厳しい。流れは止められない」と諦めとも取れる言葉を口にします。これだけ聞くと、映画はニヒリスティックな印象を与えます。
モスの妻の抵抗
ところが、直後のシーンでモスの妻がシガーと対峙する場面が重要です。モスの妻はベルと似て、家族思いで誠実な「古き良き市民」です。一方、シガーはコインの表裏で人の命を決める、まるで死神のような存在。叔父の「流れは止められない」という言葉と重なる、運命に抗えない状況に見えます。
しかし、モスの妻はシガーにこう言い放ちます。「お前が殺すのは運命じゃない。お前の選択だ」と。
これは、シガーの「超自然的な死神」という仮面を剥ぎ取り、彼をただの人間の愚かさに還元する瞬間です。彼女は、暴力の連鎖は知性の欠如から来ると暗に示唆しているように感じます。このシーンが、映画の隠れたメッセージの一つかもしれません。
残念ながら、モスの妻はシガーに殺されたように見えます。彼女の抵抗は運命を変えられませんでしたが、重要なのはその姿勢です。彼女は、叔父のように運命を受け入れるのではなく、自分の信念を貫いて死にました。
シガーの「凋落」と魂の選択
シガーはその後、事故で腕を折り、超自然的な存在から「ただの人間」に引きずり下ろされます。これは、理不尽な暴力が理性や抵抗によって傷つけられる暗示かもしれません。映画冒頭の「魂が危険な時、OKと言わなくてはいけない」という言葉がここで響きます。ベルの祖父も、モスの妻も、死に直面しても信念を貫きました。これは、どんなに厳しい状況でも「どう生きるか」は選べるというメッセージにつながるのかもしれません。
ベルの夢と希望の行方
最後のベルの夢は、映画の余韻を残します。1つ目の夢は、父から預かった金を失くす夢。保安官としての使命を全うできなかった彼の後悔でしょうか。2つ目の夢は、雪山で父と馬で進み、父がトーチを持って先に行ってしまう場面。ベルは暗闇に取り残されますが、父がどこかで焚き火を焚いて待っていると信じています。
この夢は、ベルの人生を象徴しているようです。厳しい現実(雪山)の中、父という「光」を追い続けたベル。しかし、父が死に、光を失い、自身はその光(情熱や希望)を持てなかった。それでも、父がどこかで待っているという確信は、希望を捨てない姿勢を示しているのかもしれません。
なぜこんな終わり方?
『ノーカントリー』は典型的なハリウッド映画の結末—悪が倒され、善が報われる—を選びませんでした。シガーは逃げ、モスの妻は死に、ベルは無力感を抱えたまま引退します。このリアリズムは、視聴者にカタルシスを与えず、灰色の現実を突きつけます。コーエン兄弟の『トゥルー・グリット』は犠牲を伴いつつも善が報われる展開で観客に寄り添いますが、『ノーカントリー』はあえて厳しい現実を描いたのでしょう。
テーマと評価
この映画は、世の中がランダムで無秩序でも、個人の信念や生き方は選べる、という地味だが深いメッセージを投げかけているように思います。ただし、曖昧な結末や救いのなさから、物足りなさを感じる。個人的には、100点満点で40点くらい。どうせ鬱展開だったら魔法少女まどか☆マギカのほうが自分には刺さります。シガーの暴力やベルの無力感は印象的ですが、物語の重さがエンタメとしての楽しさを上回ってしまった印象です。
コーマック・マッカーシーの原作は、暴力と絶望を読者に突きつける独特の作風です。基本的に 読者に「これが現実だぁ!」とぶちまけるような作品ばっかりで、この映画もその精神を受け継いでいます。
ドM向けというか、観る人によってはヒットする一方で、単純に「重い」と感じる人もいる。それがこの作品の魅力ではあるのかもしれませんが、なかなかに「いいね!」とは言えない ドギツさがありますね。