絶賛されている映画は観てみると面白くないものがあったりする。でもこの作品は胸にニン!ズンと来た。ニンは伊東四朗だった。
製作者はこの映画を「ピエロのいないコメディ 悪役のいない悲劇」と呼んでいるそうだ。なんとなくわかるものの ちょっと違う気もする。ネタバレ全開なので視聴後に御覧ください。
この映画は最初はコメディだけれど それはオトリだ。肝心な部分は最後にやってくる。
最後にギテク父さんがブチ切れて IT社長を刺す所。ここがこの映画のキモである。
….が なんで刺したのか よくわからないという人が北米には多い。
ちょっと そこだけ語らせてください。
ホームパーティで ギテクの娘は刺されて致命傷を負ってしまう。血をドクドク出して倒れる。ところが IT社長は血を流している娘に全く関心を示さない。
IT社長は卒倒した自分の息子を優先的に車で運ぼうとして、ギテクに車のキーを要求する。ギテクは雇用主に言われて、あわててキーを投げた。
ここらへんで スローモーションでギテクの顔のアップになる
IT長者は 地下に潜伏していた男の体を動かしてキーを取り「くさっ」という顔をする
ここでギテクは全てを理解する。IT長者にとっては ギテクたちも 地下に隠れていた この男も同類だったのだと。
娘は血を出しているのに IT社長は 一瞥もせずに 一緒に連れて行こうとはしない。自分たちだけ行こうとする。ギテクはそれを瞬時に察して 怒りが噴出するわけです。
だけどIT社長は自分が何で刺されたのかが分からなかったはず。
「なんでやねん ワイは息子を病院につれていこうとしただけやないか!」と。
実際に海外の感想をみていると「 金持ちに対する妬みか 何で刺したんだ!」という意見が多い。
いや、この映画が伝えたかった問題はそこなんです。
この悲劇は目に見えない手によって描かれた「線」によって ひき起こされたわけです。
今風の言葉で言うと 「身分」「分相応」「上級国民」「カースト」こういう目に見えない暗黙の了解。 金持ちや社会的地位が高いほうが優れている あるいは 生きる価値があるかのような集団的な思い込みです。
この偏見を持っていることのおかしさがIT長者には分からなかった。アタリマエのことだと思っていた。
だけど本来 人間の命に貴賤はないわけです。
金持ちの方が生きる価値が高いでしょうか?
(ex.竹中平蔵と自分の母親ではどちらが生きる価値が高いでしょう。)
IT長者にしてみれば使用人が死にかけていても その人はスペアのように替えがきくものだ 地下鉄に乗っているような大衆と変わらないという先入観があった。
ケーキを運ぶイベントに参加させたり、自分と同じネイティブアメリカンの仮装をさせたりしていても、IT社長はギテクたちを見えない線で区切っていた。自分たちとは違う存在だと。
もし少しでも使用人を大事に思うのであれば 一緒に手を貸して運ぼうとするはずです。だが しなかった。
それぞれの人間は 社会のどこに帰属するかで 命への見方まで変わってしまう。社会的地位の違いが 命の尊厳に対してまで 時に残忍な判断をもたらしている。
この作品はこう言っています 金持ちのほうが生き残るべきだァ?貧乏人は余裕がある時についでに助ければいいってか。
そんな事があっていいわけないだろうと
この映画は この時代になってますます顕著になってきた その集団的無意識のおかしさを見事にえぐり出したわけです。
これはもう 時代を超えて 国境を超えて 何年もパラサイトする作品だと思います。まさに今の時代の歪みから産まれた作品です。☆5