ジョーカーが流行っているって状況が結構ヤバいんじゃないかと
基本的に人様が絶賛している動画というのはオンタイムでは見ない派です
(ガルパンは除く)
静まった時に こそっと見る。これに尽きます。
そんなわけでレンタルが解禁されたジョーカーを観てみた…わけです。
見た気分はね…
気分は最悪です。
ジョーカーが脳裏に こびりついた感がある。
ズボンにしみ込んだ しょう油のように。
一瞬 ウェイン家が死んで ざまぁみろとすら思った。怖すぎる。
第二次で日本が戦争したのも絶対追い詰められたからだと直感で思った。
黒が白になるメカニズムをたった1本の動画で体験することになった
この作品を通して 監督が見せたかったのは 別世界のジョーカーのお話ではないなー。
ジョーカーを生み出している 個人主義的、拝金的な世界そのものに対してファッ○!と絶叫している映画だと思う。
そこに対して 多くの人が「そうだ」と共感したから 大きな反響を生んだに違いない。
ジョーカーはどこにでもいる
いつものように仕事で 呼び込みを頑張っていたら、クソガキどもに 宣伝用の看板を壊されて、それで上司に呼び出され「お前が看板を返却しないから取引先との関係が悪くなった」と告げられる。
理不尽なことに 看板を壊した分は給料から差し引くと言われる。
映画の舞台は架空の町ゴッサムシティなのだが、アーサーの環境は、劣悪な環境で働かざるを得ない ブラック企業の社員が 上司に雇用継続を盾に脅され、無理やり不利な条件で働かされるという境遇によく似ている。
アーサーは年老いた母の介護をしながら、生活がこの先どうなるのかという希望も見えない。街はゴミで汚れ わけのわからない犯罪が多発するようになっている。
貧富の差は拡大し、税金は高いくせになぜか 必要な所の行政のサービスは打ち切られていく。自分はボロボロになりながら働いているのにわずかばかりの賃金しかもらえない
その一方で 街ではクソみたいな若者がブンブンって言いながら大金を稼いではしゃいでいる。まともに働いているはずの自分の方が低賃金。
負け犬だとバカにされているようで、自尊心はボロボロになり、理不尽さを感じる。
ジョーカーの世界というものは こっちの世界とよく似ている
ヒース・レジャーのジョーカーは他人だから安全だった
ヒースが残した ダークナイト版のジョーカーは私たちの世界と地続きではなかった。
だからこそ安全だった。
ヒース版ジョーカーは ”面白そうだから”銀行強盗するというよくわからないイカレ野郎だった。
だからこそ感情移入せずに、距離を置いてみることができた
ところが今回のジョーカーはゼロ距離だ
アーサーがよくいる一般市民だからこそ 危ない
下手すれば半径10メートルにアーサーはいる。
なんで金持ち3人が倒れるとみんな不平を述べるんだ?
俺が倒れても誰も見向きもしなかったのに。
アーサーは誰か
アーサーは
ブラック企業に勤めるワーキングプアであり、
子供を大事にし、
母親も大事にする、
なかなか女性にアプローチできない、
そして苦悩する。
カウセリングを必要とする弱者でもある。
毎日を精一杯生きている。普通の市民。
それなのに常に逆風が吹く。そして逆風が吹くたびに精神が少しずつ削られていく。
こうした局面に同情心や共感を感じない人はまずいない。
だからこそ、それをバカにするような資本家金持ちが撃ち殺される瞬間に視聴者は熱狂する。少なくともアーサーが悪者だとは誰も思わない。
….落ち着いて考えてみると 銃で撃ち殺す必要はないんだけれども、それまでのアーサーのかわいそうなところを共感させてしまうのでそこまで考えが及ばない
それまでの鬱憤が溜まっているから 資本家どもざまぁみやがれと思ってしまう。
問題は この潜在的な願いは一体「誰のもの」なのかという所
この頃じゃ全員がイカレてやがるのさ、だからいつ誰かが突然まともじゃなくなってもおかしくない
ジョーカーの登場を待ちわびる大衆 それを産み出す環境が既に善ではない。
ジョーカーは大衆の願いと言うか 怒りを浄化する化身かつ象徴と化す。
格差が進んだ先では 資本家・権力者を襲うジョーカーが称賛され ヒーローであり正義となっていく。
そして この映画の戦慄する所はジョーカーが特別な存在なのではなく、誰がジョーカーになってもおかしくないってことと
そんなジョーカーの登場を密かに望んでいる人も多いってところ。
いやーホラー映画より怖い!
トランプ氏が失業率が過去最低だ と言っても ジョーカーが これほどまでに人気になったということはアメリカ経済もうまくいっていないって事なので、やっぱりね~と思うのである。