【感想】勉強の哲学 来たるべきバカのために「どこまで行っても とりあえずの答え」

ビジュアル系バンドみたいな髪型で哲学を教えてくれる 千葉先生の本。タイトルがいかつい。哲学の勉強ではなく、勉強の哲学である。

youtubeのタイトル風に言うと「勉強を哲学してみた」とかそんな感じだろうと思う。

この本の要旨をザッとまとめると 勉強は3段階に分かれるよという事なんだろう。

1段階目は 人マネの段階。テレビで バナナが体にいいと言うと、「へー バナナって体にいいんだ」と思ったり、友達に「バナナを摂りなさい」とか言ったりする。

要するに みんながそうしてるからそうする 偉い人が言ってるからそうする。 株でいうとイナゴ。ギャンブルで言うとカモ。カイジで言うと運否天賦。 これが第1段階。

第2段階は 第一段階の状態を疑う段階。

「バナナが体にいいとか言ってるけど 根拠は?」「どこソースよ?」「そもそもバナナをどれくらい摂取したらいいんだろうか」「ビタミンは豊富だけど そればっかりだと糖分の摂りすぎだろ」とか言う。

「本当にバナナは体にいいのか」と根拠を追求する役目を果たす。やりすぎると全部否定して何も生み出さない ねらーになる。

ただ ねらーとの違いは 自分で調べて とりあえず自分が納得する結論を出す所だろう

第2段階の弊害は行き詰まるということ。やりすぎると ねらーのように カモグループの仲間には入れてもらえない。ねらーはどうしたってカモグループから浮くので、情報も入ってこなくなり、結局はカモグループよりもアホになってしまう可能性がある。

文句ばっかり言うひろゆきは「あいつウザいから 会社から追い出そうぜ」となるし「もう あいつには嘘を教えとけばいい」という感じにもなりかねない。

とはいえとりあえずカモが信じているところに 「違うんじゃね?」とツッコミを入れ始めるのが第2段階。

第3段階はこの本の「アイロニー」に当たる部分だ。本を読んで考えたけど 曖昧でよく分からんかった。千葉先生は別冊でアイロニーについて詳しく語ってくれないかと思ってる。

こうじゃね?と思うのは 第3段階の人は「バナナは体にいいのか」論争に参加するんじゃなくて、例えば「そもそも健康にいい果物って何があるの」とか「体に悪いという状態は?」とか「バナナを主食とする動物は何か?」とか 違う方向のエリアを調べるという感じ。

バナナ問題から抽象度のエリアを1段階 拡大して バナナを取り込むのが第3段階だと思っている。

第1段階の人は「めんどくせぇ。偉い人が言うからバナナは体にいい」がとりあえずの結論
第2段階の人は「バナナは食いすぎると体に良くないが 砂糖菓子を毎日よりはいい」が結論
第3段階の人は「バナナは他の果物にくらべて 安価でエネルギー摂取という点で申し分ないが、ビタミンB群に偏りがちであるので 他の果物も採ったほうがいいようだ。 栄養学に詳しい人の書籍によると… バナナよりも健康にいい果物は…」が結論

1の人は1の結論で満足しちゃってる。2も1を否定して1よりちょっと高いだけで満足しちゃってる。結局 この満足ってのが厄介で、満足すると学習はそこで終わってしまう。

一見 1より3の人のほうが賢そうだけれども、第3段階になっても 現段階で言える「とりあえずの結論」でしか無い。

勉強というのは1の状態に満足せず、2そして3へと脱皮することらしい。

3は最強かというとそうでもない。 3が教えを広めて「そうだそうだ」となってしまうと 結局は1の大衆になってしまう。

つまり 自分の知はどこまでいっても不十分だと認識して、真実求めて 疑問をひっくり返して仮説と知りつつ とりあえずの説をたてまくっている奴が一番賢いんじゃないだろうか。

このへんを語っているのが本書で言う「比較」の部分だろう。

そういう人は自分は賢いんだという顔はしないだろう。多分 「ここまでは分かるけど ここからが分かんねぇ どうしよ」って 困ったような顔をしているんじゃなかろうか。

で、京都大学の山中先生みたいな事を考えてると思う。

私は、科学的な真実は、「神のみぞ知る」、と考えています。
新型コロナウイルスだけでなく、科学一般について、真理(真実)に到達することはまずありません。

逆にわかったような顔して どんな問題でも「これは科学的に正しい!」とか「アメリカの何とか大学の研究によると…」とか断言しちゃうようなメンタ人は恐らく1なので 大して物知りではないだろうと思う。


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